さよなら、私のリカオン
私はリカオンを好きになってから、オランダでリカオンの保護団体Painted Dog Conservation(以下PDC)の代表している方とFacebookで友達にしていただきました。彼はRon van der Aさんで、リカオンのために様々な保護活動をされています。
少し前に私は彼のプロジェクトの一つに参加して、ジンバブエのマナプールズで保護されていたMpindoの群れのリカオンの赤ちゃんの親になりました。
これが証明書になります。↓
私の養子は男の子でカツと名付けられました。Mpindoの群れの子リカオンたちは有名な芸術家の名前からつけられ、カツは葛飾北斎からもらった名前です。
Mpindoの群れはとても複雑な環境にいました。もともとは2018年の2月、ワンゲ国立公園の近くで巣を作ったということで地元民との軋轢があり、マナプールズのPDCが運営するリハビリセンターに保護されました。しかしその後、ワンゲ国立公園に戻った群れは、出産の季節にまた問題の土地に戻ってしまい、再度保護されて、改めてリハビリセンターに保護されていました。センターにいる間にアルファメスのスノーテールとアルファオスのジョナサンは10頭の子リカオンを出産し、今年の9月にリハビリセンターから野生にリリースされました。
リリースされた時、Mpindoの群れは子リカオンも含めて19頭のリカオンの群れに成長していました。↓こちらが群れの家系図になります。ここで数をかぞえると、21頭いますが、確か、SurvivorとPeanutはセンターに残ったと思います。
カツたちの兄弟は4月20日に生まれて、両親と兄弟と一緒に生後約5ヶ月後に野生にリリースされました。
マナプールズにリリースされたのですが、そこは、ライオンとハイエナの密度が大変高い場所でした。2日目にして、子リカオンのBeansieは行方不明になりました。おそらくライオンにやられてしまったとのこと。その後、群はモザンビークの国境近くで12頭まで減っていることが確認されたのですが、そこでアルファメスのスノーテールと1頭の子リカオンが村人によって殺されてしまいました。
すぐにPDCのメンバーが残されたリカオンたちの保護に向かいましたが、とうとう群の仲間は6頭にまで減ってしましました。5頭はなんとか保護できたのですが、アルファオスのジョナサンだけは捕まえることができませんでした。5頭は現在PDCのリハビリセンターに戻りました。PDCはジョナサンがどうにかして他のリカオンを見つけ、仲間になることを祈っています。
このニュースが発表された時、私はカツの行方がとても心配でした。しかし、数日前Ronさんからの連絡で、4月20日に生まれた10頭の子リカオンたちは全員亡くなったという悲しい知らせでした。
私はカツのために何もできませんでした。長生きをして、いつか葛飾北斎のように世に名を残すリカオンになってほしいと願っていましたが、それも叶いませんでした。せっかくいろんな人に協力していただき少しずつ貯めた寄付金で、ようやくリカオンの親になれたのに、カツに会えることもないまま、カツは半年しか生きることなく死んでしまいました。悲しくてたまりません。
野生のこととはいえ、怒りの感情もあります。どうしてライオンやハイエナが多く居るとわかっている場所にリカオンの群れをリリースしたのでしょうか。まさか、その群れをみたい観光客のためじゃないでしょうね?という猜疑心さえも芽生えて憤りを感じていました。Mpindoの群れのことは最初の問題があった時からPDCのニュースをみていたので知っていただけに、本当にかわいそうでなりません。
なんとかアルファオスのジョナサンが仲間をみつけること、そして残された5頭のリカオンがなんとか無事に大きくなり、また新しく群れを作っていってくれることを祈ります。
さようなら、カツ、Please Rest In Peace...